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福岡地方裁判所 昭和61年(ワ)855号 判決 1994年8月25日

主文

一  被告は、原告甲野一郎に対し、金八一九〇万二九三〇円、原告甲野花子に対し、金五五〇万円及び右各金員に対する昭和六一年四月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告甲野一郎のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その一を原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は、原告甲野一郎勝訴部分のうち、金四〇〇〇万円に限り、仮に執行することができる。

理由

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告甲野一郎に対し、金一億二〇三一万七三七八円、原告甲野花子に対し、金五五〇万円及び右各金員に対する昭和六一年四月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行免脱宣言

第二  事案の概要

本件は、国立病院での分娩において、胎児娩出の方法選択、介助の手技、出産後の処置等における担当医師らの過失により、新生児に障害が生じたとして、右医師の使用者である国に対し、右新生児である原告甲野一郎(以下、「原告一郎」という。)が不法行為(民法七一五条)に基づき、その母である原告甲野花子(以下、「原告花子」という。)が債務不履行(同法四一五条)又は不法行為(同法七一五条)に基づき、それぞれ損害賠償を請求した事案である。

一  当事者間に争いのない事実(明らかに争わない事実を含む。)

1  当事者等

(一) 被告は、福岡市中央区城内二番二号に国立福岡中央病院(以下、「被告病院」という。)を設置している。

(二) 田中博(以下、「田中医師」という。)は、昭和二六年に医師免許を取得し、昭和二七年六月以降、本件当時まで被告病院の産婦人科に勤務していた医師である。

(三) 原告花子は、昭和五三年九月一〇日、乙山太郎と結婚し、昭和五七年八月二一日に被告病院で原告一郎を出産したが、その後、昭和六〇年六月一七日に離婚して右原告一郎の親権者となり、原告一郎を引き取つて生活している。

2  本件分娩の経緯

(一) 原告花子は、昭和五七年一月五日、妊娠の疑いがあり、被告病院産婦人科において田中医師の診察を受けた結果、妊娠八週で、分娩予定日が同年八月二五日であると診断された。原告花子は、過去に二度自然流産した経験があり、習慣性流産のおそれがあつたので、田中医師は、右花子に入院するよう勧め、同月一九日に入院する予定となつていたが、同月一五日、原告花子に生理程度の出血があつたので、同原告は、一六日から被告病院に入院して安静加療に努め、経過順調となつたので、三月二四日退院した。その後、原告花子は月に一回ないし三回被告病院で受診していた。

(二) 同年七月二七日、田中医師が診察したところ、胎児は、頭部が上方にある骨盤位(いわゆる逆子)となつていることが判明した。

(三) 同年八月二一日早朝、原告花子は、下腹部痛その他の分娩前駆症状が起き、同日午前九時三〇分ころ破水の疑いで被告病院を受診して入院し、陣痛誘発剤であるプロスタルモンF等の点滴投与を受けたのち、午後六時三二分、田中医師及び助産婦らの介助の下に、経膣分娩により原告一郎(男児、三三八六グラム)を出産した。

3  分娩後の状況

(一) 原告一郎は出産直後から酸素吸入のためインキュベーターに収容された。当時、原告一郎に頭血腫があり、右上肢がだらりとしていた。

(二) 翌二二日、田中医師は、原告一郎を小児科に転科させた。原告一郎は、転科されたとき、顔面蒼白で、転科直後にチアノーゼを伴う無呼吸発作を起こした。

(三) 同月二四日、原告一郎は、父親から新鮮血の輸血を受けたり、酸素吸入を受けるなどして、一命を取り留めた。

(四) 同年九月六日、原告一郎は、整形外科を受診したが、右上肢の自発運動は認められず、同月二五日に退院したものの、発達遅延や知能障害及び右腕麻痺等の後遺障害が生じるに至つている。

二  争点

1  被告の責任原因

(原告らの主張)

(一) 田中医師及び助産婦らには、原告一郎に生じた障害に関して、以下の過失がある。

(1) 不用意な陣痛誘発、その後の分娩管理を懈怠した過失

田中医師らは、未だ子宮収縮が始まつていない状態の原告花子に対し、陣痛誘発剤の点滴静注を開始し、軟産道の成熟が十分得られていない段階で児を下降させる処置をとり、徒に児に対する分娩損傷の危険性を増大させた。また、そのような危険な処置をとるに当たつては、いつそう厳重な分娩監視体制をとつて、骨盤位分娩に適切な処置(コルポイリンテル等)をとるべきであるのに、監視を怠り、かつ適切な処置をとるタイミングを逸して結局これを施行しなかつた。

(2) 不全足位にもかかわらず経膣分娩を強行した過失

本件胎児の胎位は不全足位であつたところ、この場合には、より安全確実な娩出方法である帝王切開を分娩様式として選択すべきであるとされとおり、原告花子についても、分娩様式として帝王切開を考慮する必要があつたのに、田中医師らは、必要な分娩経過の監視を怠り、適切な産科的処置を全くなさず、漫然と経膣分娩を強行した。

(3) 強引な介助を強行した過失

骨盤位の場合において、胎児を安全に娩出させるためには、子宮口が完全に開大することが必要不可欠であるから、その前に無理にいきませたり、強引に牽引するなどして、母児の身体に障害を与えることのないように注意して監視、介助する義務があるのに、田中医師らは、原告花子の子宮口が未だ全開大になつていないにもかかわらず、いきみの指示をしたり、強引に胎児を引つ張つたり、原告花子の腹部を強く押すなどして無理に娩出させた。

また、不全足位にあつては、特に後続児頭の牽出が困難で注意を要するところであり、後続児頭娩出に当たつて上肢が挙上しないように留意し、上肢が挙上した場合には、その上肢を解離して娩出しなければならず、後続児頭の牽出がスムーズにいかない場合には、それ以上無理に牽引することなく鉗子分娩に切り換えなければならないとされている。本件においても、右の措置をとるべき客観的事情が存したものというべきであるのに、田中医師らはなんら注意を払わず上肢挙上のまま児頭牽出を強行した。

以上(1)ないし(3)のような誤つた処置及び娩出方法等により、原告一郎に対し、分娩損傷による重大な障害を負わせるに至つた。

(4) 出産後に適宜適切な治療を受けさせなかつた過失

骨盤位でしかも不全足位の経膣分娩にあつては、その予後が不良であることが予想され、田中医師らは事前に出産後の新生児に対する万全の準備措置をとることはもちろん、新生児の監視も厳重にすべきであつた。

しかるに、田中医師の酸素投与の指示後、診察や指示もないまま、助産婦の判断により酸素投与が打ち切られた上、さらに、田中医師が出生後に回診した際の原告一郎の状態から、すみやかに小児科の受診を求め、転科させてその専門的治療に委ねるべきであつたにもかかわらず、漫然と原告一郎を約二〇時間に渡つて放置し、何ら特別の措置をとることをしなかつた。そのため、原告一郎を低酸素症に陥らせ、脳障害を増悪させた。

(二) 前記過失行為と原告一郎に生じた障害との因果関係

原告一郎に生じた分娩外傷である頭蓋内出血、エルブ麻痺及び現在、同原告に存在している知能障害等の重篤な後遺症は、前記(一)の一連の田中医師らの過失行為に起因するものである。

頭蓋内出血については、子宮口開大の不十分な時期に児頭を牽出したり、中等度以上の力で後続児頭の牽出を強行する等拙劣な介助をしたために起こつたものであり、エルブ麻痺については、田中医師が片腕挙上したままの児童の牽出の危険性に留意せず、挙上した上肢を解離しないまま漫然と強引に児頭を牽出したことが原因である。また、低酸素症が現在の後遺症に関連している可能性も否定できず、本件でもつと早い段階から酸素投与その他の頭蓋内出血に対する治療を施されていれば、脳の損傷を少なくとも障害が軽く抑えられた可能性は高い。

(被告の主張)

(一) 経膣分娩の選択について

医師は、胎児が骨盤位にある場合において、経膣分娩、帝王切開のいずれを施行するかを選択するに当たつて、児頭骨盤不均衡の有無を確認し、母体と胎児の具体的な状態を把握し、さらに、分娩の過程と予後に障害の発生する危険性の有無、大小を比較検討し、慎重にこれを決すべきである。帝王切開は、それ自体外科的手術であり、母体及び新生児に対する危険性を伴うものであるから、やむを得ない場合を除き、できる限り経膣分娩を実施するのが望ましいとされており、安易にこれを施行すべきものではない。

田中医師は、児頭の大黄径の大きさを推測し、これに骨盤の計測結果等を加え、児頭骨盤不均衡はないと考え、更に胎位が複臀位であること、その他原告花子及び胎児が順調な妊娠経過を辿り、特段の疾病も認められず、発育状況も良好で十分経膣分娩に耐え得る身体的状態にあることに、右の帝王切開による危険性をも総合的、かつ慎重に検討した結果、経膣分娩を選択したのであり、この点について、医師らになんらの過失もない。

(二) 試験分娩、経膣分娩の施行等について

田中医師は、陣痛誘発剤を使用して試験分娩を実施したところ、陣痛、子宮口開大も順調に進行していることが確認された。分娩所要時間は、娩出力の強弱、胎児及び産道抵抗の大小により左右され、また、個人的体質の差異によつても大きく異なるが、初産婦については、分娩第一期(分娩開始から子宮口全開大まで)が一〇ないし一二時間、分娩第二期(子宮口全開大後、胎児娩出まで)が二ないし三時間、分娩第三期(いわゆる後産)が一五ないし三〇分とされており、本件の第二期の所要時間は、三二分であり、右基準からしても、極めてスムーズに分娩が進行したことが明らかであり、それまでの経過と総合すれば、本件において帝王切開の適応はなく、そのまま経膣分娩を継続、施行したことになんらの過失もない。

(三) 分娩介助、手技について

本件胎児の胎勢等は、骨盤位第二胎向(胎背が母体の右側に向かうもの)で、複臀位(両側または一側の足踵が臀部に接近して先進するもの)であり、田中医師らは、骨盤位娩出法である横八の字娩出法で胎児の躯幹及び両肩甲を回転して上肢を引出し、次いで、頭部を娩出し、その際助産婦が原告花子の下腹部を圧迫する措置を行つて分娩を終了した。

分娩は、この方法をとつた場合の典型的な経過を辿り、特段の支障もなくスムーズに行われたのであり、その間田中医師らによつてなされた介助、手技は極めて標準的かつ具体的な娩出状況に応じる適切なものといえ、何らの過失はなかつた。

(四) 小児科転科及び治療について

原告一郎は小児科転科直後に急変したのであつて、それまでは特段の異常は認められなかつた。田中医師らは、原告一郎の症状を十分監視し、その推移に応じてできる限り適切な処置を施した後、可及的速やかに小児科転科を行い、小児科においても、直ちに相応の検査、治療を施している。

(五) 原告一郎に生じた障害及び後遺症について

エルブ麻痺は過誤と考えられない操作によつても発生する。この障害の発生原因である娩出時の新生児の側頚部過度側方伸展は、分娩現象という一定のリズムのある時間のなかで、一瞬にしてある均等性が破れて新生児に過剰な外力がかかつたときに発症するものであり、その外力を発生せしめる要因には、産婦の体動、娩出力の強さ弱さ、胎児の分娩時の回旋力、娩出術者の身体の中心の位置、重力等さまざまな因子があり、分娩現象がある限り、この外力の発生を零にすることは不可能である。因みに、右麻痺発生率は骨盤位の場合〇・一パーセントである。

また、原告一郎の頭蓋内出血についても、分娩当初、頭血腫があることは認められたが、当初のCT検査でも、くも膜下出血(その後消失)の所見のみで、それを疑う脳実質内の異常所見は認められず、その後、脳室拡大と両側頭部に低吸収域がみられるに至つたが、これらの発生原因は不明である。万一、原告一郎の後遺障害と本件産道通過時の何らかの外力やその後の処置との間に因果関係があると仮定しても、田中医師らは、前述のとおり、ごく一般的な娩出術を適切に施行して分娩を了し、その後も症状に応じ、医学的に十分是認され得る最善の処置を施したものであり、その過程に何らの過誤もない。原告一郎の後遺障害は、産道通過の何らかの外力等により不可避的に生じたものといわざるを得ない。

2  原告らの損害

(原告らの主張)

(一) 原告一郎について

(1) 逸失利益

金六七四七万五〇九八円

原告一郎は、頭蓋内出血の後遺症による全身的な発達遅延や知能障害及び右腕と左半身の麻痺があり、中枢性難聴等により言語能力もなく、その他食物の咀嚼が人並にできないなど、重度の障害を負つており、種々の訓練をしても、将来わずかでも働いて収入を得ることができる程度にまで到達することは不可能な状態である。したがつて、労働能力喪失率を一〇〇パーセント、男子労働者全年齢平均月収三二万四二〇〇円を基盤とし、就労可能年齢を六七歳として、新ホフマン方式により中間利息を控除して逸失利益を計算すると、前記金額となる。

324,200×12×17.344=67,475,098

(2) 慰謝料

金一五〇〇万円

原告一郎は、本件事故によつて身体的にも精神的にも重篤な障害を負うに至り、一人では生活できない状態となり、さらにその障害が原因で両親が離婚のやむなきに至つており、暖かい家庭生活も奪われてしまうなど、人間として人生を楽しく過ごすという願望ないし権利を失つてしまつた。このことによつて原告一郎が被つた精神的苦痛は計り知れないが、あえて金銭的に評価すれば、前記金額を下らない。

(3) 終身介護料

金二九六四万二二八〇円

原告一郎は、前述したような後遺症により、将来付添介護なしでは生きていけない状態であるので、今後五〇年間一か月につき金一〇万円の割合で、新ホフマン方式により中間利息を控除して介護料を計算すると、前記金額となる。

100,000×12×24.7019=29,642,280

(4) 弁護士費用 金八二〇万円

(二) 原告花子について

(1) 慰謝料 金五〇〇万円

原告一郎は、原告花子が二回の流産の末、乙山太郎との間にやつと生まれた子供であり、その健全な成長を期待し、誕生を心待ちしていた。ところが、原告一郎は、一生働くことさえできない障害者として出生することになり、原告花子は、わが子に重大な障害が残ることを知つた母親の悲しみと苦痛を被つている。さらに、その障害が原因で夫婦は離婚する事態に至り、原告花子は身体的にも精神的にも障害を負つた原告一郎を、今後、一人で養育していかねばならない。

原告花子の負つた精神的苦痛は、原告一郎が死亡した場合にも匹敵するものであり、これをあえて金銭的に評価するならば、前記金額を下らない。

(2) 弁護士費用 金五〇万円

(被告の損益相殺の主張)

原告一郎は、心身に重度の障害を有する者として、福岡市重度心身障害者福祉手当支給条例に基づいて、同市から、昭和六二年度、平成二年度、三年度、四年度に各二万円、合計八万円の手当を受領した。この限度において、原告らの損害との損益相殺の調整がなされるべきである。

第三  判断

一  事実経過

1  被告病院の診療態勢等について

本件当時、被告病院の産婦人科病棟には、ベットが約七〇あつて、その約八割を田中医師が担当していた。産婦人科の看護婦らの勤務体制は、朝の八時半から午後五時までを日勤とし、分娩担当としては分娩係とベビー係に各一人付き、分娩係が専ら分娩の介助をし、ベビー係がその補助に付くことになつていた。そして、午後四時半から五時までの間に、準夜勤(午後四時半から、翌日の午前〇時三〇分までの勤務)の者と引き継ぎ、交代して、準夜勤は、二名で病棟係と分娩・ベビー係をそれぞれ担当し、さらに午前〇時から午前八時三〇分までの深夜勤に引き継いでいた。

2  入院から分娩までの経過

(一) 昭和五七年七月二七日、田中医師が原告花子を診察したところ、胎児が骨盤位であることが判明したので、同日レントゲン写真撮影を行い、胎児の頭部自体に異常がないこと、骨盤囲、骨盤が正常であること等を確認した。

(二) 同年八月一七日、田中医師は、胎位(子宮内にある胎児の長軸と母体の縦軸との関係を示すもの)の確認と骨産道の大きさを測定し、骨盤を児頭が通過できるかどうかを調べるために、骨盤の前後方向からのものと、マルチマウス法によるX線写真を撮影した結果、骨盤の入口は女性型で骨産道の前後径が一三センチメートル、横径一四センチメートルであること、胎位が複臀位であること等を確認し、原告花子に「逆子だけど、お尻から出すから心配ない。」と説明した。

(三) 原告花子は、同月二一日午前二時三〇分ころ、下腹部痛が起こり、おりものがあつたので、被告病院に行き、当直の河野医師の診察を受けたところ、腰痛、腹痛があり、児心音は正常で、胎児臀部が下方にあり、子宮口は一指開大しており、同医師からの指示を受けて、午前九時三〇分ころ入院した。当日の被告病院の分娩担当の助産婦は、日勤では、分娩係が田中淳子助産婦であり、ベビー係が畑野助産婦で、準夜勤は、分娩・ベビー係が萩尾助産婦で、鈴木助産婦が分娩時にはその補助に当たつていた。

原告花子は、入院の際、助産婦に観察を受けたところ、血圧一一八ないし七〇、子宮底三一・五センチメートル、胎児心音は正常、臍右上方で緊張強く、妊婦の下肢に軽度の浮腫があり、胎胞あり、胎位は第二複臀位(複臀位のうち、児背が母体の右側にあるもの。)で、先進部は半固定し、外陰部までの距離七センチメートル、子宮口は軟らかいなどの状態であつた。さらに、田中医師が午前一〇時ころ、クスコー膣鏡診断を行つたが、破水は認められず、子宮口は二センチ開き、胎胞が見られた。そして、原告花子はグリセリン浣腸を施され、分娩予備室に移されたが、骨盤位であり、帝王切開になることも考えられたため、それに備えて、心電図と胸部のレントゲン写真がとられ、血液検査が実施された。

(四) 同日午前一一時、田中助産婦が付いて、試験分娩のためラクテックGの中に陣痛誘発剤であるプロスタルモンFを混入して一分間二〇滴の割合の点滴が開始された。子宮収縮は、午前一一時には一五分間隔に起こつていたが、その後、午前一一時四五分には、プロスタルモンFを一分間三〇滴の割合にしたところで、子宮収縮は一〇分間隔、午後一二時四五分には一分間四二滴の割合にして、七分間隔となつて中弱程度の発作(子宮が収縮すること)も二〇秒起こり、この時点で陣痛がきていると判断された。

さらに、午後二時には点滴が一分間五〇滴の割合、午後二時三〇分には六〇滴の割合でなされ、午後二時三〇分の時点で田中助産婦が内診したところ、子宮口が五センチメートル開大し、胎児の先進部の足に触れることができ、外陰部から先進部までの距離が七センチメートルであつて、子宮収縮の間欠(子宮収縮がとけること)は二ないし三分で、中程度の発作が四五秒となつたが、それまでに特に異常な状況はみられなかつた。

それから、午後二時四〇分に点滴が追加され、間欠が二分の状態が続いていたが、午後四時五分に、間欠一ないし二分となり、田中助産婦が内診して、子宮口九センチメートル開大で破水をしたと判断され、午後四時一五分ころ原告花子は分娩室に移された。田中助産婦は、内診により午後四時二五分には子宮口九・五センチメートル開大、午後四時三〇分には全開大したと判断し、田中医師にその旨伝えて出産の準備を始め、原告花子に対しては、いきむよう指示した。そこで、原告花子はいきみ始め、午後四時六分に笑気及び酸素吸入が開始されたが、胎児の片足が先進するのみで、分娩はなかなか進まないまま推移し、午後五時一五分ころになつて、田中助産婦から引き継ぎを受けた萩尾助産婦が自ら触診したところ、子宮口が未だ全開大しておらず、九センチメートル開大に止まつていたことが判明した。そこで、萩尾助産婦は笑気及び酸素の吸入の必要がないと判断してそれを止めた。田中医師は、子宮口が全開大に至つていなかつたこと、陣痛の発作の強度が弱かつたこと等の報告を助産婦から受けて、陣痛を強めるため、プロスタルモンFからより強い作用を有するアトニンOを混入した点滴に変えるよう指示した。

その後、間欠が一ないし二分間隔で、中程度の発作が五〇秒起こるようになり、午後六時には子宮口がほぼ全開大と判断され、再度、笑気及び酸素が吸入され、下腹部、会陰部の消毒等の分娩準備が開始された。田中医師は、時々様子を見に来るほかは他の病棟を回つたりしていたが、子宮口全開大のころには、呼ばれて分娩室に来ていた。

午後六時二八分、胎児の片方の足が、陣痛発作時に先進部が陰裂から見えるが、間欠時には見えなくなる状態(いわゆる排臨)となり、会陰部に局所麻酔がされ、午後六時三〇分、田中医師により、会陰部側切開が加えられた。同時に萩尾助産婦が肛門部を圧迫させて会陰部断裂防止の保護処置をさせ、先進部が絶えず見えた状態(発露)なり、片足が先行して出た後、田中医師が横八の字娩出法で躯幹及び両肩甲を回転して上肢を引き出した。その際、片方の上肢が拳上していた。さらに、児頭の娩出のとき、児頭が恥骨にかかつたため、田中医師が、児の口に指を入れて下顎を体に押しつけ、次いで、前上方に挙上して牽引する方法をとり、同時に萩尾助産婦に原告花子の下腹部を圧迫させて、胎児を引き出した。

午後六時三八分、胎盤娩出した後、切開部縫合を開始し、四八分に終了、原告花子に対する笑気吸入を中止し、午後七時に酸素吸入を中止、午後八時に点滴を終了した。

3  分娩後の状況について

(一) 原告一郎は出産直後、呼吸状態が少し悪く、多少全身性のチアノーゼが見られ、泣き声も弱く、手の動きがにぶかつた。新生児の生後の状態を表す点数法であるアプガースコアによると、一〇点満点に対し、合計七点と評価された。そのため、出産直後から、酸素が投与され、また、呼吸促進効果のあるレスピゴンが臍帯に静脈注射された。また、午後六時四五分、原告一郎はインキュベーターに収容され、酸素吸入が行われていたが、午後八時四五分、萩尾助産婦によつて酸素吸入が中止され、普通のベビーベッドに移された。当時、原告一郎に頭血腫があり、右上肢がだらりとしていた。

(二) 田中医師は、翌二二日午前四時三〇分ころ、他の分娩のため来院した際、寝ている原告一郎を見たところ、顔色が悪く、貧血を疑つたので、助産婦に聞いてみたが、吐き気もなく、呼吸に異常もないと聞いて、特に措置をとらず帰宅した。

同日朝、原告一郎は、依然として顔色が悪く、元気がなかつたため、産科の医師によつて、小児科の方に診察依頼がされた。同日の昼ころ、小児科の横田医師は、産科の依頼を受けて、産科病室にいた原告一郎を診察したが、そのときは、右上肢の麻痺があり、モロー反射が消失していて、泉門が膨隆し、ミルクを飲まず、元気がなかつた。これらの状態から、エルブ麻痺と頭蓋内出血が考えられるとして、直ちに小児科に転科の手続がとられ、午後一時五〇分ころ小児科に転科させた。

(三) 原告一郎は、転科時、皮膚の赤みが少なく、少し黄色みがあり、頭血腫が左右の頭頂部にあつて、泉門の緊張が高かつた。そして、右上肢に自発運動がなく、下肢は左右動かず、原始反射に異常があつた。また、転科直後に無呼吸・呼吸停止とチアノーゼが見られたので、すぐにインキュベーターに収容し、横田医師が心マッサージをして、アンビュバックによる人工呼吸等の措置がとられた。さらに、超音波検査で出血があるかどうか見たが、はつきりした出血の所見はなかつた。

原告一郎は、痙攣が時々起こる重篤な状態であつたが、同月二三日、CT検査の結果、頭血腫とくも膜下出血と診断された。同月二四日も、泣かない、ミルクを飲まない、上肢がダラッとしている。痙攣が続く状態で、午後二時四〇分ころ、原告一郎の父親の新鮮血五〇ミリリットルの輸血がされた。翌二五日には診察時に痙攣が見られたものの、無呼吸、チアノーゼはなく、多少状態が良くなり、回復の兆しが見えた。そして、九月八日には整形外科を受診し、エルブ麻痺と診断された。

九月二五日の退院時の診察では、ミルクが飲める状態で泣き声もあり、右上肢に麻痺があるが、一般状態は良くなつていた。

(四) そして、現在、原告一郎には、知能障害、中枢性難聴、嚥下障害、左右失認、身体失認、右上肢エルブ麻痺、左半身不全麻痺の各障害が残つている。右のうち、特に中枢性難聴は、環境音及び言語の音としての知覚は可能であるが、弁別は不能であり、高度難聴用の補聴器を使用しても全く音声を識別できない程度のもので、音声言語の理解及び表出は不能な状態である。

二  本件分娩時の胎位について

1  胎位と分娩上の問題点

胎位のうち、胎児の長軸と母体の縦軸とが平行するものを縦位といい、その中で子宮内の胎児の頭部が母体の上腹部、下方に臀部または下肢があるものを骨盤位という(正常な胎位を頭位という。)。さらに、分娩開始となると、胎児の先進部が決定されるが、先進部により、骨盤位は、臀部のみが先進する単臀位、臀部と下肢が先進する複臀位、膝部が先進する膝位、足部が先進する足位に分類され、足位には、両足が先進する全足位、片足が先進する不全足位とがある。

骨盤位分娩では、頚管を開く先進部よりも後続児頭が大きい結果、児頭の分娩に長時間を要するので、胎児が窒息を起こす危険性が大きく、かつ急速に児頭を娩出するので頭蓋内出血が著しく多い。ことに頚管の不完全開大のもとに躯幹は辛うじて娩出しても、肩が通過した直後細くなつた児の頚部の周囲に頚管壁が痙攣性に攣縮して急速に児頭を娩出することができないこともある。無理に娩出を試みると頚管裂傷を起こす危険が多い。そして、胎児新生児の死亡率が高く、奇形、損傷も頭位分娩に比較して多く、母体の合併症の発生率も高いとされている。

また、骨盤位のうち、複臀位では、他の骨盤位の場合よりも下向部周囲が大きいので、単臀位や全足位に比較すると一般に予後がいいとされているが、足位については、<1>子宮口の開大が臀部、肩甲、後続児頭の通過にはまだ不十分の状態であるのに下肢が娩出して、これが早期牽引を誘惑する、<2>単臀位では、膣産道は大きい下降部によつて徐々に拡大され潤軟化するから、肩甲、後続児頭の娩出に抵抗が少ないが、足位ではこの潤軟化がない、<3>陣痛促進剤を点滴使用すると、陣痛の発作と間欠がはつきりしない持続的収縮となり、一発の強い発作の上昇期を好機とする娩出着手の機を誤る危険がある。これを恐れて点滴を中止すれば、間欠はかえつて長くなり、やむを得ず間欠期の娩出を行わなければならなくなる、<4>躯幹の下半が娩出すれば、間欠は長くなり、この間欠期に陣痛促進剤を使用しても反応がなく、結局、腹圧だけに頼る間欠期の牽引となり、上肢は挙上し児頭娩出は困難となるなどの悪条件があり、その分娩には、頭位と異なつた分娩誘導と介助介出法が必要とされる。

2  本件分娩時の胎位

(一) 本件分娩における看護助産記録の「胎位、胎向、胎勢」欄、体温表及び分娩経過表にはいずれも胎位について、「不全足位」との記載を「複臀位」と書き換えた跡が見られるが、この書換え前の記載をした鈴木助産婦は、この証言において、分娩の瞬間に片足が最出に出たのを見て不全足位であると判断したのでそのとおり書いたと述べている。右鈴木助産婦の証言によれば、同人は、昭和二五年から助産婦の仕事をしており、不全足位の分娩も何例か扱つた経験があることが認められ、複臀位でも、娩出時に足だけが先にすつと伸びて出てくる場合、すなわち、不全足位と区別しにくい場合もあつて、その場合も実際に扱つたことがあるが、本件ではその場合と違うと述べていることなどの点を勘案すると、右鈴木助産婦の胎位に関する判断は信用性が高いと解される。

この点について、被告は、鈴木助産婦が、当時、分娩状況を常時注視していたわけではなく、また、状況を見誤ることや速断することもあり得るのであつて、分娩に直接関与していた田中医師と萩尾助産婦がともに複臀位であつたと述べている以上、これらの証言の信用性の方が高く、胎位は複臀位であつたと主張している。

しかし、《証拠略》によれば、鈴木助産婦は、当日、分娩時には分娩室に入り、心音のチェックや、新生児の娩出時の準備等に携わるなどの役割を分担していたほか、分娩介助者が娩出に係つているときは、その代わりに記録をとることも仕事として予め予定されて、前記分娩経過表中の「下肢排臨」から、「一八時三二分、男児分娩、三三八六グラム」までを記載していることが認められるから、右の間の状況を注視したうえで、自分のこれまでの経験から不全足位と判断したものと考えられ、見誤りや速断があつたとは直ちにいえない。

また、前記のように本件の看護助産記録には、胎位を不全足位から複臀位に書き換えた箇所があるところ、田中医師や萩尾助産婦は、原告一郎が小児科に転科した後に、田中医師が不全足位という誤つた記載に気づき、萩尾助産婦と話をして、萩尾助産婦が、鈴木助産婦にそれが誤りであつて、本当は複臀位であつたと指摘し、鈴木助産婦が訂正した、したがつて、不全足位との記載は誤りであると証言しているが、鈴木助産婦は、胎位等について当時他人と話をしたことはなく、また、それが誤りであつたと指摘されたり、訂正したことはなく、むしろ書換えがあつたことに驚いたなどの証言をしており、右田中医師及び萩尾助産婦の各証言は、右鈴木助産婦の証言に照らして信用できない。

むしろ、分娩台帳上には「不全足位」との記載が当初されているが、看護助産記録中の職務分担の明細を記載した表の分娩台帳の記載者欄には「ハギオ」とのサインがあり、萩尾助産婦自らも不全足位と記載していたことが窺われること及び萩尾助産婦は、その証言によると、記録をチェックする立場にあり、分娩後、鈴木助産婦と共に勤務している時間中に「不全足位」との記載を見ていながら、記載を訂正させることはしなかつたことが認められるが、これらの事情に照らすと、萩尾助産婦自身も、本件分娩時には、胎位が不全足位であつたと認識していたと解するのが自然である。

(二) さらに、被告は、娩出に至る経過がスムーズに推移し、その所要時間も一般の平均より短時間であつたこと、仮に不全足位であれば、より早期に破水しているはずであるのにそれがないこと、また不全足位であれば、分娩の経験の多い田中医師も、即時帝王切開を施行するほかないと考えていたのに、本件分娩の経過で不全足位を窺わせるような言動は何らしていないことなどから、複臀位であつたと主張している。

しかし、<1>本件では、自然に陣痛が起こる前から陣痛促進剤が投与され、後には強い作用を持つ薬剤に変更されたのに、子宮収縮は中程度で推移し、娩出直前には間欠がまた長くなつており、順調な陣痛が来ていたかどうかは疑わしいと解され、子宮口の開大についても、被告が全開大したと主張する午後六時の時点において、分娩経過表には、「ほぼ全開」との記載しかなく、それまでの子宮収縮の状態に照らしてみても、完全な全開に至つたかどうかは疑わしいこと、<2>娩出時に児の上肢が挙上したことが認められるが、これは、正常大の骨盤では、ほとんど常に、早期即ち子宮口が全開する前に、牽出を始めることによつて人工的に生じるものであるとされていること、<3>右のように児の上肢の挙上があつた上、前記のとおり娩出の際、最後に児頭が少し恥骨にかかつて、萩尾助産婦が任婦の腹部の上から押して娩出させた経過があつたことなどからすると、本件分娩が必ずしもスムーズにいつたとは解されず、むしろ、娩出介助に困難な状況のあつたことが窺われる。

また、田中医師は、本件分娩においては、排臨となつた前後に分娩室に入るまで、数回妊婦の状況を見たのみで、実際の観察は、専ら担当助産婦らに任せていたのであつて、その間、田中医師が不全足位、あるいは胎位について言及しなかつたとしても不自然ではない。

(三) 加えて、原告花子も、<1>最初の子宮口全開大との判断については、午後五時ころ助産婦が交代した際に誤りであつたと聞いた、<2>助産婦らが、破水後には足が触れる旨の話をしていたほか、子宮口全開大との判断によつていきませた後には、足からだからと話していたのを聞いた、<3>娩出の最後の段階に助産婦が上から押して、胎児を引つこ抜いたような感じがしたなど、不全足位を前提とする分娩経過に一致する供述をしている。

3  以上の検討の結果を総合して判断すると、本件分娩時の胎位は、不全足位であつたと認定することができる。

三  争点1(被告の責任原因)について

1  分娩方法の選択、分娩管理及び介助方法等について

(一) 田中医師は、胎位に関わらず、試験分娩のため、陣痛誘発剤を投与するのが通常であつて、本件においても、午前一一時の時点で子宮収縮が一五分間隔であつて、陣痛開始(通常、陣痛開始は子宮収縮が一〇分以内の間隔で来る場合をいう。)といえる子宮収縮が始まる前の原告花子に対し、陣痛促進剤であるプロスタルモンFを投与した。

(二) しかし、骨盤位では、胎児の最大周囲である児頭の娩出が最後となるので、試験分娩を試みることは不可能であるというのが一般的であり、骨盤位においても試験分娩は可能とする見解もあるが、その場合でも足位については児頭周囲も先進部最大周囲との差が大きいため、試験分娩は不可能とされている。さらに、前記プロスタルモンFの添付書類の使用上の注意欄には、一般的注意として「本剤は子宮収縮の状態及び胎児心音の観察など分娩監視を十分に行いつつ投与すること」としたうえ、「骨盤位等の胎位異常のある者には投与しないこと」と記載されているほか、陣痛促進剤を点滴使用すると、陣痛の発作と間欠がはつきりしない持続的収縮となり、一発の強い発作の上昇期を好機とする娩出着手の機を誤るおそれがあるし、これを恐れて点滴を中止すれば、間欠はかえつて長くなり、やむを得ず間欠期の娩出を行わなければならなくなり、特に足位においては悪条件となることを指摘する医学文献もある。また、鑑定の結果によれば、骨盤位分娩では、自然の陣痛によつて分娩第一期(陣痛開始から子宮口全開まで)に時間をかけ、ゆつくり進行させて、この間に必要に応じてコルポイリンテルなどを併用して軟産道を十分に熟化させ、子宮口を完全に全開大させ、その後第二期には有効な娩出力を得るために子宮収縮を積極的に増強して、速やかに児の娩出を計るのが安全な方法とされていることが認められる。

(三) 以上の事実を考慮すると、本件で陣痛誘発剤を使用して試験分娩を行う必要があつたか極めて疑問であるうえ、仮にこれを行うとすれば、特に慎重な経過観察をすべきであるが、田中医師ら、単に通常しているという理由で試験分娩のための陣痛誘発剤の投与を指示し、しかも、その後の観察を助産婦経験が二年余りしかない田中助産婦らに任せていたのであり、監視態勢も不十分であつたといわざるを得ない。

(四) 次に、本件胎児の分娩時の胎位が不全足位であつたと認められるのは前記のとおりであるところ、分娩前である昭和五七年八月一七日の田中医師の診断では、胎位は複臀位とされ、同月二一日の助産婦による観察においても複臀位とされている。しかし、右診断等が正しいものとしても、入院時の助産婦の観察では、前記のとおり、胎児の先進部は外陰部から七センチメートルほど上方にあつて、未だ半固定状態であつたと認められるが、一度複臀位との診断がされた後に、胎児の状況が変化して、分娩進行中に足が伸びて足位となる場合もあると考えられることを考慮すると、胎位の変化にも、常に注意を払う必要があつたというべきである。

そして、鑑定の結果によれば、分娩時の経過観察の結果により、胎位が不全足位であることが判明した場合には、より安全確実な娩出方法である帝王切開を分娩様式として選択すべきであるとされていることが認められる。

しかるに、田中医師は、胎位に配慮して経過観察をするよう特に助産婦らに指示を与えることはなく、田中助産婦が、子宮口が五センチメートル開大した午後二時三〇分の時点(《証拠略》によれば、この子宮口開大五センチメートルの時には、先進部が何かほぼ確実につかめ、しかもその後変化することはないとされている。)で、胎児の足に触れながらも、特に胎位に注意した診察、管理をすることも、医師に報告することもなかつた。そして、田中助産婦は、午後四時五分に破水を認めた時点で、子宮口の開大が九センチメートル、午後四時三〇分には全開大に至つたものと速断し、その判断に基づき、酸素及び笑気の投与等の分娩準備がされ、医師等に全開大についての確認を求めないまま、原告花子にいきむように指示を出したのは、前記のとおりであるが、その際にも、胎児が足から出てきていることを認識したが、自身が足位の分娩に立ち会つた経験がなかつたことから、これにも特段気を留めず、その時点でも先進部が足であることを特に医師に報告することをしなかつたことが認められ、結局、右のような不十分な分娩管理により、本件における娩出時の胎位や不全足位であるにもかかわらず、帝王切開による分娩の方法をとらないまま、経膣分娩を強行したものということができる。

(五) なお、仮に本件の胎位が複臀位であつたとしても、鑑定の結果によれば、骨盤位で児を安全に娩出するためには、子宮口の完全な全開大が必要不可欠であり、全開大前に無理にいきませたり、強引に児を牽引したりすることは母児に重大な障害を招き、決して行つてはならず、複臀位の場合は、適切なコルポイリンテルにより子宮口の確実な開大を達成させる必要があることが認められる。しかし、本件ではそのような措置もとられておらず、前記のとおり、田中助産婦が未だ全開大には至つていなかつた時点で誤つて全開大と判断して、原告花子にいきむように指示し、かつ、その後、陣痛も弱い状態であつたため、より強い効果を持つ陣痛促進剤であるアトニンOが投与されたが、そのころ及びそれ以降、子宮収縮は中程度に止まり、間欠も一ないし二分から、再び二分と長くなつていたのであり、分娩経過表の午後六時の記載でも「ほぼ全開」とあるにすぎないことなどからすると、本件において、子宮口の開大は、娩出時に至つても不十分であつたと見ることができる。

以上のような不十分な分娩管理等に加えて、鑑定の結果によれば、胎児の娩出時における分娩介助の手技、方法にも不適切な点があつたことが認められ、これらの一連の措置によつて、原告一郎に前記認定のような分娩損傷を生じさせたと認定せざるを得ない。

(六) 以上を総合すると、田中医師らは、本件分娩が骨盤位という異常胎位であり、未だ先進部が固定していない状態の原告花子の分娩に当たつては、母体及び胎児の状況を予め詳細に診察し、陣痛誘発剤の適否を慎重に判断すべきはもちろん、陣痛誘発剤の投与を行つて経膣分娩を試みようとするのであれば、さらにその後慎重な経過観察を行つて、特に胎位の変化、すなわち先進部に留意し、足位の可能性を認めれば直ちにより安全で適切な処置をとるべき義務があるのに、これを怠り、通常とられているという理由で漫然と陣痛誘発剤の投与を行い、経験浅い助産婦に特に留意事項を指示することなく、その後の観察を任せたために、子宮口が五センチメートル開大して先進部を確認できる状況になつても、その時点で胎位が不全足位であることを確認せず、適切な処置をとる機会を逸したうえ、未だ子宮口全開大でないのに、全開大したと誤診して、原告花子をいきませ、胎児に不必要な外力を加え、さらにその後も子宮口が十分に開大しないまま、発露に至つたことから無理な牽引を始め、上肢の挙上を招いたほか、児頭が恥骨にかかつてしまい、これを娩出させるために、さらに胎児に強い力を加えるなど、分娩管理の懈怠に基づきなされた一連の措置は不適切なものであつたといわざるを得ず、田中医師及び助産婦らには分娩担当医師等としての注意義務に違反した過失が認められる。

被告は、本件分娩が複臀位であつたことを前提に、分娩経過が順調で、田中医師らのとつた措置が適切であつたと主張しているが、本件分娩が不全足位であつたこと、所要時間は別として分娩が必ずしも順調であつたといえない状況であつたことは前記認定のとおりであるので、その主張の前提を欠き、これを採ることができない。

2  分娩後の管理等について

さらに、分娩後について検討を加えると以下のとおりである。

(一) 出産直後、原告一郎は、アプガースコアが七点で、呼吸状態が悪かつたため、レスピゴンの静注とインキュベーターによる酸素の投与がされたが、その後、萩尾助産婦は、原告一郎のチアノーゼ等の状態がよくなつたと判断し、特に医師に判断を仰ぐことなく酸素投与を中止し、その後を深夜勤務の助産婦による一般的な観察に委ねたこと、田中医師も、午前四時三〇分ころ、原告一郎の様子を見て貧血を疑つたが、深夜勤務の助産婦に聞いたところによつて異常がないと即断し、何らの措置もとらなかつたこと、その後、小児科の横田医師が産科で診察し、小児科に転科したのは午後一時五〇分ころであつたことは前記認定のとおりである。

本件で、被告は、原告一郎は小児科転科後、容体が急変したと主張しているが、前記認定の酸素投与による改善前後の様子に加えて、その朝になつても原告一郎は元気がなく、顔色が悪い状態であつたこと、また、鑑定の結果においても、前記認定したその後の原告一郎の状態及び小児科での診断結果を勘案すると、分娩後から小児科転科までの状態に異常が無かつたとは考えにくいとされていることから、原告一郎は、小児科転科後に急変したというよりも、むしろその前の酸素投与による改善が一時的なものにとどまり、その直後から状態が次第に悪化していつたものと認められる。

(二) ところで、前記認定のとおり、原告一郎は頭蓋内出血及びエルブ麻痺等の分娩損傷(陣痛開始から娩出までの間に、機械的外力と低酸素症によつて起こる胎児の器質的損傷)を受けたが、これらの分娩損傷は、遷延分娩、骨盤位分娩等に起こりやすいとされていること、原告一郎は、骨盤位でかつその中でも分娩が困難で予後の悪いといわれている不全足位で出生し、出産直後、頭血腫が見られたうえ、右上肢の様子からしても分娩損傷を疑う状態であつた。さらに、《証拠略》によると、分娩損傷に伴う異常な症状は、出生後直ちに現れるとは限らず、出生後四八時間内に現れるのが通常であり、例えば、頭蓋内出血は無症状であることが少なくなく、また、低酸素脳障害についても、その臨床症状が出生直後に現れることは少ないこと、頭蓋内出血については、安静にし、酸素投与を行い、低酸素症を来すことを避けるほか、急性期の治療としては、まず、全身状態の保持であつて、酸素投与、人工換気で低酸素血症、高炭酸ガス血症を防ぎ、低体温、アシドーシス、心不全、低血糖症を予防するとされていること、エルブ麻痺については、固定や安静を保つこと、低酸素症については、早期の無症状の時期が最も治療に適切な時期であるとされていること、また、レスピゴンは呼吸興奮をもたらす薬剤で、速効性はあるが作用の持続は比較的短く、また、呼吸抑制の原因が一過性でない場合にはかえつて中枢の酸素消費を促進する可能性があり、その効果に限界があるから、呼吸抑制の原因が複雑である仮死新生児への投与に当たつては、一時的に症状の改善が見られても、その後の管理に慎重でなければならないとされていることが認められる。

(三) 以上の事実を併せ考慮すると、本件において、分娩を担当した田中医師らとしては、出産後の原告一郎の状態について、しばらく慎重な観察、管理を継続して行い、仮に何らかの異常が認められれば、早期に適切な診断、治療を受けられるようにしなければならない義務があるのに、これみ怠り、萩尾助産婦が、原告一郎が改善したものと即断して医師の診断を受けないのに酸素投与を打ち切り、一般的な観察に委ねたのみで、田中医師も、原告一郎が貧血を疑わせる状態を呈しているのを現認しながら何らの措置もとらず、小児科の横田医師に診察されるまで、重篤な状況になりつつあつた原告一郎を漫然と放置していたものであり、田中医師らには、分娩後の原告一郎の管理に関しても、過失が認められるといわざるを得ない。

3  以上によれば、本件分娩及び分娩後の管理における田中医師らの一連の過失行為によつて、原告一郎に、前記認定のとおりの重篤な後遺障害が生じたことを認めることができる。

四  争点2(原告らの損害)について

1  原告一郎の後遺障害については、前記一、3、(四)に認定のとおりであるが、さらに、《証拠略》によると、原告一郎は、言語機能及び聴覚機能の障害が著しく、また知能障害があり社会性は五歳前後のものしかないなど、他人とのコミュニケーションがほとんど取れない状態にあり、咀嚼機能等日常生活に必要な基本的動作についても他人の介助がなければできない状態であつて、右障害の状況は、これまであまり改善されていないこと、以上の事実が認められる。

右事実によると、原告一郎の労働能力喪失率は一〇〇パーセントであつて、今後、少なくとも原告が主張しているところの五〇年間は同様の介助を必要とすると認めることができる。

そこで、逸失利益の算定の基礎となる原告一郎の得べかりし収入を昭和六一年賃金センサス第一巻第一表の男子労働者全年齢平均年間給与額四三四万七六〇〇円として、就労可能年数を一八歳から六七歳まで、介護料の月額を一〇万円として、原告らの損害を算定すると、以下のとおりと認められる。なお、中間利息の控除について、原告は新ホフマン係数を算定の基準にすることを主張しているが、本件については、ライプニッツ係数を基準として採用するのが相当である。

(一) 原告一郎について

(1) 逸失利益

金三七九九万五八五〇円

4,347,600×8.7395=37,995,850

(2) 慰謝料 金一五〇〇万円

(3) 終身介護料

金二一九〇万七〇八〇円

100,000×12×18.2559=21,907,080

(4) 弁護士費用 金七〇〇万円

(5) 合計 金八一九〇万二九三〇円

(二) 原告花子について

(1) 慰謝料 金五〇〇万円

(2) 弁護士費用 金五〇万円

(3) 合計 金五五〇万円

2 被告主張の損益相殺について検討すると、《証拠略》によれば、原告一郎は、被告主張のとおり、福岡市重度心身障害者福祉手当の支給を受けていたことが認められるが、右手当の支給について定めた条例によれば、この手当の支給は、専ら重度心身障害者の福祉の増進を目的としており、損害と右手当受給の利益との間に同質性があるとは解されないから、損益相殺の対象とすることはできないと解するのが相当である。

したがつて、右の点に関する被告の主張は採用することはできない。

五  結論

以上のとおり、原告らの被告の対する本訴請求は、不法行為による損害賠償請求権に基づき、原告一郎が八一九〇万二九三〇円、原告花子が五五〇万円及びこれらに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和六一年四月二〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、原告一郎のその余の請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条を適用し、仮執行免脱宣言は相当でないからこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 寺尾 洋 裁判官 桑原直子)

裁判官 八木一洋は転補のため署名捺印することができない。

(裁判長裁判官 寺尾 洋)

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